大分日田 小鹿田焼(おんたやき)の里を訪ねて  

大分日田 小鹿田焼(おんたやき)の里を訪ねて  

 

大分県の日田市にある「小鹿田焼の里」、その麓に「鹿鳴庵」という小鹿田焼を専門に取り扱うギャラリーがある。ここ数年、JR九州のクルーズトレイン「ななつ星」のゲストが立ち寄る場所として静かに知られつつある。庵主の佐藤哲也さんにお話を伺った。

小鹿田焼の里にはどのような魅力があるとお考えですか?

陶芸の好きな方は小鹿田焼の里を訪れ、民藝のルーツに触れてみたいというのがあるようです。はじめて里を訪れた方はノスタルジックな感じやタイムスリップするような感覚に襲われるみたいですね。唐臼(からうす)の音を聞きながら、五感の感度が高まり、不思議な感じがするようです。もちろん、焼物を買い求めて来られる方もおられますが、旅行者からは里を散策することで心身がリフレッシュしたという感想をよく聞きます。

どうして里は三百年も変わらず存続できたとお考えですか?

小さな里には13世帯、9軒の窯元が住んでいます。里の森には陶土があり、薪が取れ、里の真ん中を川の水が流れ、唐臼の動力になります。里には焼物を作るすべての素材が揃っていて、電気がなくても器を作り続けることができる自給体制ができていました。また、家族の強い絆があり、代々受け継がれた仕事と生活の知恵を守ってきたことが里の存続理由ではないでしょうか。それと、外部から余計な情報が入って来なかったことが良かったと思います。ただ、柳宗悦とバーナード・リーチだけは別で、彼らの教えを守り続け、大量生産や商業主義に傾くことがなかったことが、今でも小鹿田焼の魅力を引き立てているのだと思います。

海外のお客さんの反応はいかがですか?

コロナ前はヨーロッパやオーストラリアからのお客さんがメインでしたが、最近は韓国や中国、台湾、アメリカ、東南アジアからのお客さんも増えてきました。陶芸がもともと好きな方も来られますが、中には少し興味があって来たというクリエーターやデザイナーの方もいます。最近は東京や京都でも鹿鳴庵の展示会を行っていますが、小鹿田焼は自然に近い表情で、日常使いの器が多く、料理のジャンルを問わず、食事とマッチするところが評価されています。器は食べ物を載せて完成する、そうしたことが少しずつ知れ渡っている感じがします。

 鹿鳴庵を始められた理由は?

ギャラリーは12年前にオープンしました。もともとこの場所は自分の実家で思い出のある場所です。私はこの土地で生まれ育ち、ずっと子供の頃から窯元の家族とは付き合いがありました。父親は書家で焼物を入れる木箱に墨書する箱書きをしていました。母親は竹細工の職人で筆巻きなどを作っていました。この茅葺の古民家は150年以上も前からのもので、維持も大変ですが、小鹿田焼の素晴らしさと日本の伝統文化の良さを伝えるために、この場所でお店を始めました。

 ギャラリーのこれからは?

 最近は東京のインテリアショップとのコラボで、お皿やピッチャー、花瓶などをデザインして、窯元に制作を依頼することも増えてきました。存在感のある、大きめの作品の制作も企画しています。海外の住宅やホテルで、小鹿田焼は周囲の調度品と微妙なバランスを引き出すと思っています。今年はアメリカや台湾など、海外出張が続きましたが、これから小鹿田焼の評価がますます高まり、多くの人が小鹿田焼の里を訪れていただけることを楽しみにしています。

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