さて、余談となるが、自叙伝の中で、大隈が少し肩の力を抜いて語っているところがある。それは、慶應義塾の創立者、福沢諭吉との出会いとその後の両者の友情を語るところだ。
大隈は福澤より3歳ほど若い。ともに30代で、すでに世の中で名を成しており、互いにその名を知ってはいたが、なんとなく相手を生意気な奴だと思っていたという。
ところが、1874年に、偶然、会合で出会った二人はすぐさま、胸襟を開き、100年来の友人のごとく打ち解けて語り合ったという。そして、二人は生涯に亘って友情を分かち合い、互いに敬意を失わなかったようだ。
福澤は、官職に就かず、政治には距離を置き、西洋の思想を広めて、明治の社会に有為な人材を育成することに注力した人である。
しかし、先にも触れた大隈が失脚する明治14年の政変では、福澤と大隈は同類と見られ、世上、福澤が参謀で、大隈の裏で暗躍していたと見られていたことを大隈は冗談交じりに語っている。
大隈にとっての福澤は、当時の情勢や西洋の事情に関して、気を許して話ができる数少ない友人の一人であったかもしれない。二人は双方の自宅を訪れ、よく杯を酌み交わしていたようだ。
福澤は、九州の東側、大分県中津市の出身、大隈は九州の西側、佐賀県佐賀市の出身、両者は父親を早くに亡くし、慈善家の母親に育てられ、蘭学、洋学に魅入られたという共通項がある。また、私心がなく、率直な物言いで、敵を多く作ったという共通点もあったかと思う。
大隈と福澤はそれぞれ、旧い体制が支配した田舎から抜け出し、日本の近代国家の建設や人材の育成に貢献した。九州の東と西から、ほぼ同時期に飛び立った二人はそれぞれ別のルートを通って、最後には、有為な人材を育てるという共通の目標で遭遇したのも歴史の妙である。
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