平和祈念公園へ

平和祈念公園へ

ひめゆりの塔からバスでさらに15分程度、東の海側の方へ向かうと平和祈念公園がある。その広大な敷地の中にある沖縄県平和祈念資料館を訪れた。短い時間ではあったが、ここでも、沖縄戦の実態を多くの資料、展示物から学んだ。

沖縄は、太平洋戦争で国内で唯一の地上戦の場になったこと、1945年の3月から90日間にわたり、艦砲射撃・爆撃・火炎放射器などあらゆる近代兵器が使われ「鉄の暴風」と呼ばれる苛烈な戦闘が行われたこと、日本軍の司令官が自決し戦いを止める指令を出さず、多数の犠牲者を出したこと、などを知ることができた。そして、日本軍にスパイ容疑をかけられ犠牲になった人、住民の間で米軍の捕虜になるより互いに殺し合い、自殺を選ぶ人が出たことも学んだ。当時、日本の軍部は米軍を沖縄で待伏せて持久戦に持ち込み、時間を稼いで本土決戦を遅らせようとしていた。そのための激戦が沖縄の地で展開されていたわけである。沖縄戦では、ほとんどの県民が動員され、島民の4分の一、約12万人が亡くなったとされ、軍人を合わせて約20万人が犠牲になっている。

資料館では、戦後27年間続く米軍による沖縄占領時代についても多くの展示があった。
米ソの冷戦という国際的な厳しい対立状況が続く中、沖縄は軍事基地の役割を担い、長い占領時代を耐えた。そして、1972年に、沖縄は本土に復帰するものの、日本全体の米軍基地の7割を沖縄の地が占めるという状況に変化はなかった。

資料館には、是非、多くの学生や生徒らが修学旅行などで訪れて欲しい。平和教育に最適の場所だと思う。

公園内には沖縄戦の犠牲者の名前が記された慰霊碑の「平和の礎」が建立されており、そこから海を見渡すことができる。目の前の美しい海の彼方からアメリカの軍艦が大挙して押しかける姿を想像することはかなりの困難を伴う。歴史の記憶はしっかりと刻む努力をしなければならないと感じた次第である。

*エッセイの全文はこちらをご覧ください。

沖縄へ 歴史の記憶と万国津梁|柳基善 千年の旅

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