神社と祭り 身近な場所として
幼い頃、神社は身近な場所で、自分が通う小学校の近くにあり、友達との遊び場だった。宮司からは拝礼の仕方を習い、池の鯉は釣らない、本殿の奥を覗いてはいけない、などの禁忌を教わった。池を擁する神社の一帯には神々しい空気が流れている、そうした感覚が芽生えたのがこの頃だ。
神社の祭りは小さな町が一番盛り上がる行事だった。子供たちは神輿を担ぎ、ワッショイの掛け声とともに町を練り歩いた。重い神輿の棒が肩に食い込み痛かったが、幼い私は道端の観衆に対して少し誇らしい気持ちになっていた。当時の町の商店街にはまだ活気があった。
祭りの日には、神社の参道に的屋の屋台が多く立ち並んだ。怪しい提灯や食べ物に引き寄せられ、親の目を盗んで遊びに夢中になった。他愛のない賭け事をして小銭をあっという間に失いもした。小学生の私はたっぷりと祭りの猥雑な賑わいに洗礼を受けたのである。
その後、神社とは随分と縁遠い時期が続いたが、再び神社が身近になったのは年齢も40代の半ばを過ぎてから。東京の会社近くにあった神社にはよく足を運んだ。街中の喧騒を離れて、鬱蒼とした杜の中で新鮮な空気を吸いパワー・チャージをした。
人口減少下の日本の地方では、神社や祭りの勢いに衰えが見えるものの、地元の人に大切に守られてきた。都会に出た人たちも、故郷の祭りの日には帰郷するという人もいるようだ。祭りに参加し、幼い頃の思い出が蘇り、大人になってもハレの場は楽しいのだろう。神社や祭りは地域の人々の心の支えになってきたに違いない。
人にはそれぞれ神社にまつわる思い出があると思う。神社について思うことを共有してみたい。
人々の願いを受け止める
以前、能登半島地震の後、倒壊した神社の再建に取り組む人たちの姿をテレビで見たことがある。地元の男性が、まずは前に進むためにも自分たちは祈る場所が欲しいという話をしていて切迫した雰囲気が伝わってきた。地震などの自然災害が多発する日本列島で、被災後、神社の再建が復興のシンボルとなり、地域の人々の求心力となったという事例は少なくない。2016年の熊本地震で、被害に遭った阿蘇神社もそうした例だ。
日常においても、人々は神社に行く。拝殿で柏手を打ち、深々と頭を下げ、しばらく願い事をしてその場から離れない人を見かけることがある。家内安全、商売繁盛、交通安全、合格祈願など、手を合わせて祈願する姿は真剣そのものだ。神社は人々の将来への不安や願いを受け止める大切な役割を果たしていると言えそうだ。
また、神社への初詣は国民的な行事になっており、人生の節目に人々は神社に参拝する。家族は子供の出産祝い、七五三でお参りをし、大人は厄払いに訪れる。神前式の結婚式が行われる神聖な場所でもある。
神社は由縁によって、各々の行事に特色がある。地方の神社では、珍しい神楽の舞が奉納され、五穀豊穣と疫病退散を祈願する行事が綿々と何百年に亘り継承されている。このことは奇跡に近いことだと感じている。
神社は人々の心の拠り所として、地域になくてはならない場所であり、家族の安寧や開運を願う所だ。そして、祭りや神楽に人々が引き寄せられ、絆を深める所でもある。
日本人の宗教心とは?
さて、最近、伏見稲荷大社や厳島神社などが訪日客の人気の的になっているようだ。私も外国人を案内して神社の歴史や神道、日本人の宗教心について聞かれることがある。中には日本人は無宗教かと問われて答えに窮することもあるが。私の場合、キリスト教圏の人に対しては、神道には明確な開祖や教義はなく、宗教かと問われればやや違うと答えるようにしている。日本人に宗教心がないわけではない。昔から日本の家屋には神棚と仏壇があり、神様や仏様に供え物をし、毎日、手を合わせる習慣は根付いていた。また、夏の盆には先祖を迎え、彼岸の墓参りを欠かさない風習も残っている。神仏に祈願する気持ちや先祖への感謝の気持ちは外国人と比べ弱いということではなく、ただ、一つの宗教という言葉では表せない崇拝や信仰の形だと答えるようにしている。
以前、伊勢神宮に行き、内宮へ向かう宇治橋を渡りながら神域に入るという厳かな感覚に浸った。そして、式年遷宮で、新しい社殿が造営される予定の何もない空間を前にして、はたと感じるものがあった。日本人の宗教心とは目の前の、ありのままの自然への崇拝が基にあるのではと思い、何やら微笑ましく感じた記憶がある。太古から、日本列島に住む人々は様々な祭祀を行ってきたに違いない。社殿ができる前は、自然の中にある場所を選んで祈りを捧げてきた。
私見だが、日本人にとって神様とは自然への畏怖と感謝を捧げる対象であるというのが現実に近いのではないか。日本には八百万の神がいて、唯一神がいるわけではない。海の神や山の神がいて、豊かな自然の恵みに感謝の気持ちを捧げること、このことが習わしとなって日本人の宗教心を形作ってきたのではないだろうか。自然宗教を基盤として、祖先崇拝を持ち、現世利益を祈願するという特色がある。神道や仏教の教えは入りまじり、日本人は穏やかな宗教心を持ち合わせてきたと言えるのではないだろうか。
地域とともにある神社
古より、ほとんど外敵の侵入がなかった日本列島の人々は、豊かな自然環境の下で、おおらかな宗教心を抱いてきた。
もちろん、神社は古代より国の統治と結びつき、様々な役割を担わされた歴史があったが、地域に根差し、祭りや行事を通じてミュニティを維持する重要な役割を果たしてきた。
神社は日本の文化そのものである。地域の歴史や文化を継承する動きは絶やしてはならないものだと思う。訪日客が神社を訪れ、神域に触れることで日本人が古から大切にしてきた心を感じてもらいたい。